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【鉄道ブログ】27,000Kmの旅日記006/最北の鉄道・宗谷本線編(6)

更新日:2020年8月15日


しばらく更新をお休みしておりましたが、再開したいと思います。前回までは こちら から ………

宗谷本線午前10時27分発・名寄行。現在、宗谷本線の普通列車として使用されているのは国鉄キハ40形気動車と国鉄キハ54形気動車の2種類。今日、私が乗る車両は、国鉄キハ54形気動車だ。製造されたのは1986-87年にかけて。非電化路線の多い四国向けの「温暖地型」と、北海道向けの「極寒地型」2種類が作られた車両であるが、製造から30年以上たったいまでも、北海道各地で広く使用されている。

今日乗るこの車両は、宗谷本線急行「礼文」用に制作された車両だ。車内はクロスシートになっているが、窓の配置が一般車両と同じなので、窓と座席の配置があっていない。だから窓側に座っても景色が見えないシートがいくつかある。「礼文」が廃止された今は、普通列車の車両として使われているが、シートの配置は当時のままだ。

当然私はちゃんと、窓のある席に腰かけた。1両編成の車両に乗客は7人。



発車のベルがホームに響く。ホームには誰も見送る人はいない。「日本最北端稚内驛」「東京駅より1547.9Km」「枕崎駅より3,099.5Km」、この地が北の端であることを、これでもかと示す案内板がホームに掲げられている。

気動車……ディーゼルカー特有の油の香りと音が車内に響く。静かに、静かに、最北の地から鉄道は走り始めた。

昨日まで、ほんの数日であったが少しブラブラさせてもらった稚内の街を、宗谷本線は進んでいく。雪が積る漁港が見える。街のいたるところが雪に覆われている。これでも例年より雪が少ないだなんていうから驚きだ。



車両が走りはじめて4分、早くも次の駅にたどり着く。南稚内駅。以前、本稿でも触れたがここは「初代」稚内駅の場所でもある。数人が新たに乗り込む。降りる人はいない。どちらかといえば、稚内の繁華街は、こちら南稚内駅の周辺である。昭和の時代はここは「天北線」の乗りかえ駅でもあった。


再び扉がしまる。車両が走り出した……この後である。


宗谷本線はこんなにも美しい路線なのか、北の大地はその風景そのものが芸術ではないか! と、思ったのだ。


宗谷本線は南稚内駅をすぎると、「街」の風景がなくなる。その変わり現れたのが、北の大地の壮大な景色だった。






(写真1枚目)国鉄キハ54形気動車寒冷地型急行「礼文」仕様車。

(写真2名目)車内の様子。窓とシートの位置があっていない。

(写真3枚目)南稚内駅

(4枚目=動画)稚内~南稚内駅間の車窓


※次回は令和2年8月15日(土)に更新します。以後、毎週土曜更新が目標です。 ※平成31年1月分の鉄道輸送統計調査における旅客営業キロの全国合計は27,787.2Km

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