週末は法務以外のお話を書いていきたと思います。
前回までは こちら 鉄道ブログのメインページからどうぞ。
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稚内から3時間以上。中川郡美深町にある「美深駅」は2つのホームを持つ2面2線の駅だ。名寄・旭川方面へ向かう上り電車は、駅舎があるホームとは反対側の2番線に停車する。2番線と1番線・駅舎とは跨線橋でつながっている。2番線ホームの反対側は、いまでも「3番線」の面影が残っているが、そこには3番線の標識も、線路もなく、遠くに見えるおそらく倉庫と思われる建物まで、広い空き地が広がっている。この3番線には昭和60年9月まで、日本一の赤字路線と言われた「美幸線」が走っていた。
宗谷本線の旅は、すでに無くなってしまった鉄道との思い出の旅でもある。幌延駅でもそうであったが、今ここに、電車が到着しても何らおかしくないだろうと思う状態で、30年以上前に消えてしまった鉄道の面影が残っているのだ。残念ながらこれからもこのような風景は増えていくのだろうが……できる限り走り続けて欲しいというのが正直な気持ちだ。
再び電車が走りはじめた。宗谷本線は「南美深駅」、「智北駅」、「智恵文駅」、「北星駅」と進む。
南美深駅と北星駅は、令和3年3月に廃止になってしまう駅の中に入っている。気になるのは北星駅だ。ここの駅は1面1線を有する単式ホームだ。しかしホームから少し離れたところに昭和34年の北星駅開業当時から立ち続ける、「毛織の北紡」という看板を掲げた古い木造の待合室を有しているのだ。ホームから待合室までは畑の中の小道を歩いていくのだが……訪れた12月は完全に周囲とともに雪にうまっていた。待合室の中は木製のベンチがあり、中には来訪者用の記録ノートが置かれているそうだ。
ところで「毛織の北紡」とは? かつて旭川に本社があった、羊毛紡績の会社「北紡株式会社」のことだそうで。残念ながら昭和48年には業績不信から会社は整理されてしまったとのことだ。なぜこの駅に、北紡の看板が掲げられたのかは、調べて見たけどわからなかった。しかしそれでも、会社が消滅してから40年以上掲げられ続けた看板も、この駅とともに消えてしまうとすれば、非常に寂しい気持ちになってくる。
北星駅の次は「日進駅」。駅の案内板にテープが貼られているのは、すでに平成18年、廃止されてしまった智東駅の表示を隠すためである。
ホームから少し離れた日進駅の駅舎に向かって足跡が続いている。今乗っているこの電車から降りた人はいなかったので、何台か前、もしくは稚内へ向かう下り線の電車に乗ってきた人が降りた後だろうか……
とりあえずこの電車の終点、「名寄駅」まではあと一駅6分だ。稚内駅を出てから、まもなく4時間が経とうとしている。
(写真1)美深駅 2番ホームに到着した電車の車窓から
(写真2)智北駅の駅舎
(写真3)北星駅。「毛織の北紡」の看板を掲げた駅舎
(写真4)日進駅の案内版
(写真5)日進駅の駅舎。誰かの足跡が
※この投稿は平成30年12月に現地へ行った際の記録、撮影した写真です。
※次回は令和2年9月19日(土)に更新します。毎週土曜更新が目標です。
※平成31年1月分の鉄道輸送統計調査における旅客営業キロの全国合計は27,787.2Km
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