福島県の浪江町まで行ってきました。昨年6月以来、2度目の浪江ですが前回は日帰り。今回はしっかり、浪江町を回ろうと思って1泊2日での訪問してきました。
浪江町で参加したイベントの冒頭、吉田栄光浪江町長のご挨拶が印象的でした。
「あの震災事故から12年…」
吉田町長は挨拶で、「震災」ではなく「震災事故」と、「事故」という単語をつけていました。なるほど、浪江町の人にとって東日本大震災は天災だけではなく、人為的要素が絡んだ「事故」でもあるのだな、と。
激しい揺れだけではなく、津波に襲われただけでなく、原発のメルトダウンにより全町民が避難し、町全域が立入禁止とされ、長らく帰還困難地域とされ町民が町に帰ることが許されなかった浪江町。町の人々からしてみれば、あの震災は、ただの天災では無いという想いは当然の想いであることでしょう。
震災から12年が経っていますが、今、浪江に住んでいる皆さんの多くが「帰還困難区域」の解除を受け戻ってこれたのが2020年2月。まあ3年ちょっとしか経っていないのです。そしてまだ町内にはまだ多くの「帰還困難区域」が残っているわけです。
震災遺構として、保存され残されている、旧請戸小学校の校舎の見学に行きました。初めて震災の、津波の凄まじい爪痕を生でみました。衝撃です。こんなにも凄かったのかと。いろいろな想いがあったでしょうが、残してくれた方々に感謝。改めて自然の恐ろしさを感じることができました。
心を打たれたのが、震災当時、学校にいた生徒たちの話。当日82名の生徒が学校にい
たそうですが、全員が津波にのまれることなく、生き延びたと。
学校の裏にある山へ逃げて、と言ってもその距離2km以上。実際に自分の目でみてもかなり遠い距離です。良く小学生が、誰一人かけることなく、向こうの山まで、走り切ったなぁ。避難を決断し、引率した先生方素晴らしすぎる。そして子どもたち、ほんとよく頑張ったなぁ。
近いうちに「福島県復興祈念公園」として整備される場所に、「見晴台」が設置されていて、そこにも登ってみました。津波が到達した高さまで登ることができるわけですが、こんな高さの波が、目の前にやってきたら、もはや絶望しかないだろうな、と。そして見渡す限り何もない風景。その爪痕の深刻さをあらためて考えてしまいます。
請戸港でしばらく海を眺めていました。当日、台風が近づいている影響もあったのか、波が少し高い気がしました。この海で、津波が襲ってきたことを考えると。
この国に住む以上、常に「防災」は意識しておかなくてはならないと、あらためて感じることができました。
と、そんないろいろな想いに駆られた浪江町でしたが、そう、冒頭、町長のご挨拶があったイベントに参加したと書きましたが、えぇ、ちょっとしたイベントがあったので、そのイベントに参加するために、浪江を訪れたわけで、そのイベントとは……
「浪江女子発組合”夏の大はしゃぎ”あついぞ!!」
はい、ももクロのあーりんこと佐々木彩夏さんが率いる、ももクロとは別のアイドルユニット「浪江女子発組合」略して「JA浪江」のライブがあったのですよ。2019年以来、ももクロが浪江町からライブなどいろいろな企画を行い様々な発信をしていて、町の復興のお手伝いをしているのです。
アイドルで復興支援、素敵じゃないですか。てか、ライブ冒頭、町長が挨拶するライブってのも、冷静に考えればすごいことよね。
道の駅の駐車場にステージを組んだ屋外ライブ。ウォーターキャノンやら水鉄砲やらで、びちょびちょに濡れて、めちゃくちゃ楽しかった! 夏の屋外ライブサイコー!
ちなみに、JA浪江では播磨かなさんを推しています。
浪江滞在の最後、JR浪江駅へ行ってみました。基本的に電車移動が好きなのですが、前回も今回も、浪江にはクルマできていて、初の駅訪問。旧国鉄時代からの典型的な地方駅の面影ですが、最近はこういう趣の駅が少なくなってきているので、懐かしさを感じるなぁと。この駅もあの3月11日から、2017年3月まで、6年間は休業していたとのこと。駅に電車がやってくる。その当たりまえのことが素晴らしいことなのだなぁと。
駅には、ももクロちゃん、そしてJA浪江のメンバーのサインも展示されていました
うん、楽しかった。
そんなこんなな夏休みでした。
ーー備忘録
8月12日 土曜日
午前~午後 事務所でもろもろ作業。書類整理
夕方 自宅でG1クライマックス準決勝視聴。内藤VSオスプレイ、すごかった
8月13日 日曜日
早朝 自宅出発、クルマで浪江へ
昼前 浪江着。ホテルに荷物預けたあと、みちの駅なみえへ
午後 浪江女子発組合、ライブ
夕方 ホテルチェックイン
夜 晩飯
8月14日 月曜日
午前~午後 浪江町内をクルマで散策
午後 横浜へ向けてひたすら常磐道
夜 オタクキタク。
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